ぎりぎりなのよ 〜武士は食はねど高楊枝 さち・ド・サンファル!がゆく〜/Sachi de Saint Phalle




歌はウ◎コです。日々の生活の中、たまってくる感情。外に出さねばカラダに悪い。出すのです。

私はCHAGE&ASKAが大好きです。
3枚目のシングルを聴いて大きく惹きつけられてから今日まで34年間、CHAGEのソロも、ASKAのソロも、CHAGE&ASKAも、すべての楽曲を聴いてきました。コンサートには、中学3年の冬に地元の福岡サンパレスで初めて姿を見て以来、欠かさず通い続けています。

私は彼らに常に憎しみ以外のすべての感情をかきたてられてきました。憧れや、愛おしさや、羨望や、焦燥感や疎外感まで抱きながらその歌を聴き続け、私はそこから一曲一曲への感情の込め方も、ステージやアルバムの中での曲の構成の仕方も、学びとりました。

自分のアルバムのレコーディングの時にエンジニアの方が急に「よく考えられた曲順ですね」と言ってくださったのが非常に嬉しく、彼らの音楽を聴き続けていたことに大きな誇りを感じました。

私は特にASKAの言葉の選び方や、場面の切り取り方や、切なさの散りばめ方や、それを運ぶメロディや声の密度の高め方や、そのすべてを尊敬してやみません。ASKAの歌はその一つひとつが丁寧に織り出された、純度の高いもので、その数々の歌でこの世界は美しく描きなおされ、私はずっとその美しい世界の中で生きてきたようなものです。

先月、耳を疑うような報道がなされた日から、私はニュースやワイドショー的な性質のものはすべて遠ざけて生活しています。おそらく世の中では勝手な解釈や、興味本位の憶測や、無責任な理由付けが、まだ続いていることであろうと想像できます。でも私が目にすることのできたCHAGEや事務所の対応は、たいへん誠意に満ちたものでした。それこそが、積み重ねてきた時間の上にある確かな事実です。自分は怪我をしないとわかっている高いところから一方的に批判を繰り返すのは、何の正義でもありません。それまでの関係をいともあっさりと断ってしまおうとするのは、ただの卑屈な保身です。

今日の今まさにこの時間にも、CHAGEがこの渋谷で誠意の証として人々の前に立ち、歌っています。大きすぎるほどに大きな社会的制裁をもすべて受けた後、ASKAが戻ってきて蘇るのを、周りの人たちと多くの本当のファンが、自分にできることを最大限に模索しながら待っている間、私は、ASKAの愛についての歌を歌っていようと決めています。

迷い無くそう決めることができるのは、ASKAの歌に嘘から出たものはないとわかるからです。私は、ASKAと同じ、歌を作り、歌い、聴いていただく人間として、この身の位置するところはその末端ではありますが、同じ志を高く持つ者として、断言することができます。ASKAの歌は穢れのないものです。ASKAの心も純粋なものです。本物の歌は、本当の心を削ってしか、生み出すことも歌い続けることもできません。ASKAの歌が切なく力強く美しいのは、ASKAの心が切なく力強く美しいことの、動かしがたい最大の証拠です。

あるいは、その、人を信じて疑おうとしない純粋な部分の大きさが災いし、足をすくわれるようなことになってしまったのかもしれません。しかしあの人の歌は、決して、過剰に世の中から排除されなければならないような、そんな要素は、一欠片も含んではいません。

歌は、歌う人、そして聴く人が、大小の出来事をくぐり抜けるたびに、その聞こえ方を変えていくものです。今、私にとっての歌という歌、すべての歌の聞こえ方が、変わりました。魂を持つ歌ならば、それでもなお深く響き続けます。

ASKAの歌は私の中で既に、新たな深い響きを持ち始めています。

さち・ド・サンファル!

2014年 6月13日 渋谷La.mama にて


YouTube 映像は、 ページで。




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<2014.10.26>


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